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バイカー用サングラスの専門ブランド 日本人バイカーのために、日本人が作ったメイドインJAPANのサングラス 日本人にとっての究極の掛け心地を追求しています

日本人に究極バイカーサングラスを
このプロダクトのすべては 20年前一人の少年の夢からはじまる・・・

少年はバイクとアメリカを知る。
少年は青年となり、技術士になる。
その後、オプティシャンの道に・・・。

そして、33歳の夏
少年頃の夢「アメリカバイク横断」を成し遂げる。
アメリカバイク横断を通して、 価値観、人生観、思想、夢が変わる。

今、オプティシャンとして、 概念、機能、デザイン、理想と現実の矛盾。
これらがひとつの答えになるべくイメージをプロダクトとして具現化を夢見る。

生産地としての日本
このプロダクトを開発するにあたり、ひとつのこだわり。
「日本にこだわる」

プロダクト開発にあたり、企画、図面設計、試作、量産、精度、等これら工程すべてで「ものづくり」と認識する。
「ものづくり」において重要ファクターはイメージをする人間と、それを作る人間のイメージの共有化。
要するにコミュニケーションである。

海外生産はイメージと作り手の距離や、言語、文化の違いから
コミュニケーションが必然と不十分になる。当然プロダクト開発に影響が出る。

だから我々は日本にこだわる。
ブランド名にも JAPAN EYEWAER と意思が出る。

「日本人のために日本で」
不完全なる究極への憧れ

我々が考える究極とは・・・

「ものづくり」だけでなく、人生においてあらゆる事柄にゴールなど存在しない。
常に走りながら目指すゴールのようなものは、 恰も可憐な蜃気楼の如く、 流動的であり、可変的である。

ただ、 儚くも
純粋に人として
純粋に人として現時点で考えうる最高を夢見て、
純粋に人として儚い最高の結果に思いをこめる。

この思考において結果は必然と一つになりうる。

人は常に不安定な理想を求め続けるため、常に不透明な進化を望む。

今の結果に勝るものは 次の結果である。
それこそが進化。すなわち究極であろう。

価値と価格
プロダクト価格決定は、 プロダクトの最終工程であると同時に、 最も重要な工程の一つと考える。
価値を決定するのはユーザーであるが、 価格を決定するのは作り手である。
このバランスは、 常に価値が重くありたい。

「買ってよかった」
この一言のために、 我々「JAPAN EYEWEAR AZ」は、 存在し続けたい。

2007年にアメリカ横断7752キロをバイクで達成した店長の内山。
子供の頃からの夢だったアメリカ横断の旅 社会人になった今、遊びではなく強い意志ののもと、その夢を実現させた。

2年間の準備期間を設け、サングラスブランド、アパレルブランド、携帯会社、バイクメーカーなど10社とのスポンサー契約を果たし、'07年9月13日から約1ヶ月間に及ぶアメリカ大陸横断の旅をスタートさせた。

すべてにおいて毎日が戸惑いの連続の中、走行距離を重ねるにつれ、日に日にその不安も小さくなっていった。
旅も終盤に差しかかった9月24日。テキサス州からニューメキシコ州に入ったところでこの旅の最大の危機が訪れた。走行中に地元の人も目を疑うような大型トルネードに遭遇。稲妻が走り、みるみるうちに真っ黒になった空からは、拳大の雹が容赦なく落ちてくる。身の危険をダイレクトに感じた内山は、路肩に緊急停止していたトレーラーの陰に避難して難を逃れた。

そんな経験をしながら1ヶ月。
ニューヨークでは大西洋を眺め、そして7752キロを走破してサンタモニカから太平洋の大海原を眺めた。その遥か彼方には日本があり、家族が暮らす浜松がある。約1ヶ月に及ぶアメリカ横断の旅は、人生においてほんの少しの時間かもしれないが、その凝縮された濃い時間とさまざまな経験は、自分自身をひとまわりもふたまわりも成長させてくれた貴重な時間。

そして、その実体験を活かし、生み出されたモデルがバイカー御用達のサングラス、イノベーターである。

そんな経験をしながら1ヶ月。
ニューヨークでは大西洋を眺め、そして7752キロを走破してサンタモニカから太平洋の大海原を眺めた。その遥か彼方には日本があり、家族が暮らす浜松がある。約1ヶ月に及ぶアメリカ横断の旅は、人生においてほんの少しの時間かもしれないが、その凝縮された濃い時間とさまざまな経験は、自分自身をひとまわりもふたまわりも成長させてくれた貴重な時間。

そして、その実体験を活かし、生み出されたモデルがバイカー御用達のサングラス、イノベーターである。

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